『社会に暮らしの選択肢を増やす』Happy Care Life(株)代表取締役の中林さんをインタビューしました

2022/10/20


弊社株式会社SoLabo(ソラボ)のサービスを利用してくださったHappy Care Life株式会社 代表取締役の中林 正太さんにインタビューをさせていただきました。

Happy Care Life(ハッピーケアライフ)株式会社

中林 正太さんが代表取締役をするHappy Care Life株式会社は、佐賀県嬉野市にあります。

廃校を活用した体験型の宿泊施設、介護事業、高齢者就労支援事業、茶の実油事業などを手掛け、それらを手段として「社会に暮らしの選択肢を増やす」ために奮闘しています。

Twitter:https://twitter.com/S_Nakabayashi
note:https://note.com/s_nakabayashi/

独立開業のきっかけ

――中林さんが独立開業しようと思ったきっかけって何だったんでしょうか?

きっかけは、今の介護業界への課題感ですね。

当時働いていた時に、今の日本の状況であったり、これまでの介護保険制度の流れであったり、そういうのを把握した上でただ働いていても何もならないなと思ったというか。

本来目指さないといけない介護の形を実現させないと、今後生き残っていけないな、って言うのを感じまして。

「それを実現するために働きたい場所があるか?」というと、まったくなかったので、もう自分でやるしかないな、って言うので独立開業しました。

――元々の経歴としては、最初に介護業界の会社で働かれていて、そこで介護の何らかの課題に気づき、その課題を解決したいと思った時に独立した、みたいな流れでしょうか?

そうではあるんですけど、原点は介護からのスタートではないですね。

元々は犬の訓練士を目指していました。高校卒業後、ペット学科がある専門学校に行き、卒業後訓練所まで弟子入りしたんですけど、結果色々あって諦めて地元に帰って来て何もすることなく。

どうしよう?って時に、母が看護師として介護施設で働いていまして、母に「何もすることないなら来てよ」って言われて、介護業界に飛び込んだんですね。

なので、福祉系の学校とかを卒業したわけでもなく、知識も経験も全くまっさらな状態で介護業界に入りました。

だからこそ、いわゆる「介護業界での当たり前」を目の当たりにして「いや、これって絶対当たり前じゃないだろう」と感じるところがいっぱいあり、課題感に気づいたというような感じです。

なので、介護に携わって2年目、3年ぐらいに独立開業しようと決めた感じです。

――では介護業界に入るきっかけはお母様の存在なんですね。
自分の息子でも誘わない方もいらっしゃると思うんですけど、お母様が中林さんを誘ったきっかけ、何かあったんですか?

あー、純粋にたぶん「ふらふらしている息子を、なんとかしなければ」っていう親心からだったと思いますね。

でも、もうまっさらな状態で介護業界に入ったからこそ、いろいろな気づきを得られたので、感謝しています。

働いてすぐに感じた気づきもあれば、働き始めて一年後ぐらいにいろいろと知った時に「こういう仕組みだからこそ経営者の考えでこうなってしまうんだな」という深い気づきもあり。

ただ、その気づきをどうしようっていうのは、答えはずっと持ち合わせがなかったんです。

ですけど、当時、介護と同時進行で、地域活性化のイベントを片手間でやってまして。

「どっちを主軸に自分は生きて行くんだろう」って考えたら、介護は介護で課題感があり、イベントはイベントで売上とか利益度外視すぎて、仕事にしたらやっていけないだろうなっていう印象があり。

悩んでいた時に「あ、この二つを合体させれば、どっちも課題解決になるんじゃないか?」っていうところに気づいて。

「それなら、自分でやらないといけないな。会社立ち上げるしかないな!」ってもう一気に「独立開業しよう」って感じになりまして。

「それぞれがっちゃんこしたら、それぞれの課題を解決できるかもしれない」っていう希望が見えたのが、独立開業のきっかけですね。

――自分の力で、会社立ててやれば課題解決できると思っても、独立開業って、ちょっと怖い面もあるんじゃないかなと思うんですが、中林さんはなぜそこで一歩踏み出せたと思いますか?
例えば、その誰かが背中を押してくれたとか、伺いたいです。

うーん、特にきっかけはぶっちゃけなくて、ですね。

その時も今もなんですけど、ずっと好き勝手やってきた人生で(笑)。

中学校の時ぐらいから「普通のサラリーマンにはなりたくない」と思っていたので、独立開業に対する怖さっていうのは正直なくて。

「もう自分がやれなかったら誰がやるんだ」みたいな根拠のない自信にあふれてましたね。

あとは、そうですね。イベントでの成功体験が、大きかったかもしれないです。

地元に帰ってきて、地元の廃れ具合を見て「どうにかしないといけない」と思って、何の経験も無く、イベントもやって、一回目やったのがもうめちゃくちゃうまくいきまして。

その成功体験はめちゃくちゃでかかったと思います。

二つの課題を掛け合わせれば行けるという自信と、成功体験とで「自信が確信に変わった」じゃないですけど、流れで一気に独立開業してます。

――独立開業するってなった時、親御さんのリアクションってどんな感じでしたか?

母からは、もういい意味で諦められてたんですよね(笑)。

それまで散々好きかってやっていて、同じ介護施設で働いてた時に母に「なぜこんなこともできないのか」と、めっちゃ文句言ったりしてたんです。

独立開業とか言い出して、親からしたら「ついに来たか」みたいな(笑)。

でも「応援するよ」って言ってくれましたね。

――今、いろんな種類の事業をされていて、行動力が素晴らしいなと思うんですけど、昔から行動するタイプでしたか?

そうですね。多分、小学校、中学校ぐらいから。もう自分がやりたいことは自分でやるわがままな性格でしたね。

携帯が欲しいがゆえに、自分でバイトして携帯買うとか、中学校の時からやっていたんで。

――行動力が身についたきっかけとか、思い出とかありますか?

小学校6年生の時にギターに出会ったんですよね。19ゆず世代で、路上ライブをみんなやっているみたいな世代で。

小6の時にギターに出会って、一緒にギターやろうって言った友人と近所の誰もいない公園で、しかもアコースティックギターじゃなく、エレキギターで路上ライブをやっていました。

その時が、初めて思いが行動につながった感じですかね。

ギター持って路上に行ったりとか、ライブ企画して百何十人の席のホール借りて観客十人のライブやったりとか。

みんなでやったエピソードって忘れないですし、毎日が文化祭やっているような感覚でした。

自分たちでそうやって「路上ライブやった」とか、「ライブハウス借りて、観客少なくてもやった」とか、レベルが超低いかもしれないですけど、そういう成功体験を重ねて、行動力が養われたのだと思います。

――何らか行動した結果、楽しいっていう体験があったからこそ「行動すれば楽しいことあるよね!」っていうのが今の事業展開にもありそうですね。

そうですね。あとは「どうしても無理」みたいな「どうせできないでしょ」みたいなのが、無いんだと思います。

「自分たちでやったらできる」っていうのを分かっているので、逆に「なんでやらないの?」みたいな感覚ですね。

独立開業から今までの資金繰りを振り返る

――独立開業の時に会社立てるのとか、資本金どうするのかとか、定款謄本どうするのかとか、誰かに相談しましたか?

なんも知識なかったので、ネットで調べて、ですかね。

当時の事業計画書とか、今見たらもう子供の遊びみたいなものなんですけど、ネットで見よう見真似で作って、銀行に相談に行ったんです。

銀行がもう窓口で、多分5社ぐらい、もう鼻で笑われて。

資金もなく、知識も経験も、介護は3年しかない状況だったんで、当然なんですけど、鼻で笑われました。

無理なのかなって思ったけど、最後に行ったところが、今、メインバンクにしている銀行なんですけど、その当時の担当者が「面白いね」って賛同してくれて。

事業計画の穴をめっちゃ言われて「何日後までにこれ調べて、持ってこい」みたいな感じで、そういう指導を1〜2ヶ月受けて。

完全に「人の巡り合わせ」っていう話なんですけど。

最後、その銀行の担当者に出して言われたのが「もうこれだったら大丈夫。ただ、融資できるマックスが5000万」って言われたんですね。

自分の計画って建築費込みで、だいたい8000万ぐらいの計画だったんで、融資できるのが借りるのがマックス5000万だったら無理だなって思ってたんです。

5000万にしたら建物の新築は無理、その銀行の担当者が言ったのが「古民家改修型で、まずは小さく始めなさい」みたいな。

でも、その当時、自分なりに介護保険制度の流れとか見て、古民家改修型を立ち上げると自転車操業するしかない状況になるっていうのはわかってたんで「8000万はないと!」ってねばっていた時に、たまたま知り合い伝手で建設会社の専務さんを紹介してもらって。

そこの専務に一連の話をして相談したら「5000万引き出せてたら8000万行けるでしょう」みたいな。

それで、今度はその人が、その担当者、支店の担当者を跳び越えて本部とやり取りしてくれて、8000万降りるようになったっていう。

――最初から8000万借りたんですね!一般的には、ほぼない話で、珍しいですね。

そうみたいですね。その当時は「なんで8000万借りれないんだ!」みたいな感じだったんですけど、今思えばよく担当者ですら「5000万オッケー」って言ったなって思いますね。

――おそらく今の制度だと、不動産が絡むと多少違うところはありますが、同じような条件で当社に融資相談にいらしても正直、5000万でも無理そうですね。

はは、なんで借りれたんだろうみたいな(笑)。

奇跡。人に恵まれたな、って数年後、気づきましたね。

――強運ですね。いろいろあったものの、ファイナンス自体は成功させて、そこでスタートを切ったっていうことだと思うんですが、お金の使い方の苦労みたいなのは何かありましたか?

そうですね。使い方の苦労というのは特になくて、当時は純粋だったんで、8000万借りる事業計画のとおりにしかやってなかったので(笑)。

当時、給料手取り12万とかの金銭感覚のままで、急に8000万っていう感じだったんで、経費で1万円使うにも「これでいいのかな?」みたいなのはありました。

変に無駄遣いせず良かったなって思う反面、変にケチらず、たとえば税理士にちゃんと対価を払って節税に取り組んでたら、もっとお金残ってたのにな、とか、そういうのはあります。

何も知らなかったからこそ、うまくいった部分と、ある意味で損した部分っていうのはあったと思います。

――親御さんってその8000万借りて独立するんだってなった時、借入について何か言われたりしましたか?

いや、親からはそこまで借入に関しては何も言われなかったです。

逆に、親戚一同からめっちゃ言われましたね。

「実家を担保に入れることだけは許さないからな」みたいな。そもそも入れないし(笑)。

――借入に対してそこまでネガティブな見方をしてないから、8000万借りることにしたと思いますが、その創業当初の借入に対するイメージ、今現在、複数年経った時の借入に対するイメージって変わってますか?

そうですね。もともとが「こんなに借りれないのか」っていう思いと、「借りたものは返す」っていう自信があるところからのスタートだったので、大幅に意識は変わってはないですかね。

ただ、開業当初よりも「借りたい欲」がめっちゃ増えましたね。

――最初8000万借りるって、なかなか聞かない話なんで、好スタートだと思うんですけど、追加融資大変じゃないですか?
もし借りられるってなったら、今いくらぐらい借りたりとかありますか?

いくらでもいいんですけど、早く10億は行きたいなって言うのはありますかね。

理由はないですけど、1億も10億も一緒だろう、みたいな感覚なので。

――借りるうえで10億円の壁ってありますね。
ちなみに、10億借りるには決算書をよくして、会社の規模感を大きくしていく前提もありますが、何よりも「銀行の担当との付き合い」っていうのもかなりよくしなきゃいけないですよね。先ほどの話にあったメインバンクにしている銀行とは、いい関係が築けている感じでしょうか?

そうですね。そのメインバンクには「他の銀行と付き合うつもりはないです」っていうところまで話はして、良いのか悪いのか別として、そこだけにするって決めてやってますね。

――いい付き合いだった銀行の担当が異動してしまうと、急に関係悪化するみたいな話もよく聞くんですけど、ここまでそういうのはないんですか?

実は、ありました(笑)。

一個目の介護施設立ち上げてから、新しく介護施設をたちあげようって、もう4年前ぐらいから計画してたんですよ。

4年前に話してた支店長と担当者からは「またやるんですか?」的な感じだったんですけど、ちゃんと話は聞いてくれて、計画を通そうとしてくれてたんですけど、そのタイミングで支店長も担当者も同時に代わってしまって。

決算書の数字とかも言われるようになって「今は無理ですね」とか、計画が止まりそうになりました。

――新しい担当が来たばっかりだ分かんないこともありますし、引き継がれたとしても、ネガティブな状況から始まることも多いそうですね。そこから今の良好な関係になるまでに実績を重ねたり、ちょっとずつ信頼を構築したりした、みたいな感じでしょうか?

そうですね。その時が事業を始めてから初めてだったんです、「借入したい」って言って断られるっていうのが。

めっちゃ悔しくて。と言っても、確かにその決算書もそんなめちゃくちゃいいわけではなかったので、そこで初めて決算書の大事さを知り(笑)。

「見とけよ!」っていう感じで、決算書もある程度良くして信頼を構築しました。

独立開業から今までの振り返っての失敗や後悔

――もしも今の知識で創業当初、全く同じような条件でやり直せるとしたら、何を外部に委託しますか?

デザインとか、ですね。

クリエイティブな部分と、あとは労務士や税理士、そこらへんはもう間違いなくちゃんと対価を払って、ちゃんといい人選んでた方が良かったです。

――デザインと言うと、例えば、デザインって最初ご自身でとか周りでとりあえずやってみたみたいな感じなんですか?

そうです、手書きのチラシ作ったり、もう全部自分でやっていました(笑)

今はもうデザイナーに外注して作ってもらっているんですが、デザイナーに頼むと、それがベースになるので、いずれ頼もうと思っているなら最初から頼んだ方がよかったな、みたいな。

そういう後悔、ありますよね?

――ありますね(笑)
ちなみに、創業初期、税理士は節税アドバイスできると決算書を整えるからいいっていう人も多いんですが、社労士は3〜4年目ぐらいで契約が定番とされます。
一年目から社労士さんに頼む前提だったら何を頼みたかった、というのはありますか?

介護って労働集約型なので、雇い入れの人数が最初から15人とか大人数になるので、その手続き関係とかを全部やっていたのが一番大変でした。

開業当初、24時間回る事業所なので、昼働いて夜働いて、ってして、その隙間の時間にそういう社労士、労務関係の仕事していたんですよ。

あとは補助金も、ですね。

「これ対象だ」と思ってやって申請書を揃えて持って行ったら、対象じゃなかった、とかそういう事もありました。

自分で寝ずに補助金申請やって、結果、とれなかった補助金があったりとかしたので、最初から社労士を知ってたいら頼んでいたな、って思います。

――なるほど。確かに補助金とか助成金とか「誰かに任せてたら通ってたのに」とか、「自分でやったせいでむしろ間に合わなかった」とか「書類不備だった」とか、結構そういう話は聞きますね。
ちなみに、社労士の仕事に関連しますが、従業員を多く雇用するビジネスモデルだと規則が大事になるかと思いますが、最初から就業規則などしっかり作りましたか?

最初はそういうのを知らなかったので作ってなくて(笑)。

それこそ知り合いから話を聞いて、ちゃんと人を紹介してもらって作ったっていう感じですね。

ちょっとずつ学んでいき、今に至るみたいな感じで、立ち上げ当初は「社会保険と国保って何?」みたいな、そんなレベルでした。

――もし周りの親しい人に、起業の相談された場合、「やったらいいじゃん」っていう回答もあれば「あなたはやめた方がいい」とか、いろんな考え方があると思うんですが、起業の相談されたらなんて回答しますか?

基本「やるしかないんじゃない?」って、もう「自分の経験上、やってみないと分からないから」としか言ってないです。

――周りでその刺激を受けて独立した人とかっていますか?御社の成長を見て独立する人が今後出てくる可能性もあるかと思いますが。

そもそも周りに同世代があんまりいないっていうのもあるんで、刺激受けて独立した人っていうのは正直いないですね。

でも独立開業したいっていう人が寄ってくるのは、あります。

そこから第一歩を踏み出す方が、まだそこまでいないというか、もうちょっとなのかもしれないですけど。

サポートもしたんですよ。

「サッカースクールをたちあげたい」という人が来て、最初、熱い思いがあったので「じゃあやればいい」って言って、事業計画の立て方とか教えたり、銀行つなげたりしたんですけど、全然レスポンスなくて、なんかやれない理由ばっかり言う人とか、そういうのもこの2年ぐらいあったりしました。

時間の無駄になるだけならいいんですが、結果、その人は僕の文句を言って辞めていて「あそこは言っている事とやっている事が違う」って言いふらしてまして。

今の悩みはそこもあって、そういう人をどこまで信頼してサポートして、時間使えばいいんだろうみたいな。

9期目での今後の展望

――今まで色々と取り組まれて、規模も大きくなってきて、9期目まで成長されていると思うんですけど、御社の強みというか、どちらかというと、なかなかさんのご自身の強み、そこまで行けた強みってどういうところになりますか?

地方で、25,000人っていう、小さい町の地域に根ざして、その泥臭いところまでやっているっていうのが一番の強みかなと思います。

――中林さんが独立開業して良かったって思う瞬間、どういう時でしょうか?

いっぱいあるんですけど、真っ先に思うのはスタッフとの関係、とかですよね。

自分が「こういうことをやりたい」っていう思いからスタートしたところに、その思いに共感してくれる人がここ数年増えてきて、その人たちとそこを目指せてるなって感じた瞬間は、特に独立開業して良かったと感じます。

自分のわがままについてきてくれて、なんていいことなんだろうみたいな。

あとは経営者として、普通じゃ経験できないような経験?っていうのをいっぱいさせてもらえることは財産だな、っていう。

その2つですかね。今、パッと思いつくのは。

――「介護業界やイベント業界の課題を解決するためにやる!」って思いがスタートだと思うんですけど、その課題って徐々に解決できている感じですか?

今、どうなんでしょうね?解決できているかって言ったら、多分、全くまだ出来てなくて、やっとこの一年ぐらいでそのスタートラインに立てたな、っていう。

今までいろんなことをやっているって、周りから「また別のことに手出して…」みたいに言われていたんですけど、自分の中ではつながってて。

結果、自分が描いている課題解決につながる取り組みに全部がつながった時、初めて向かっていけるって思ってて。

それがまさしく今かなっていう感じです。

――最後に、御社の今後どうして行きたいか、教えていただけると嬉しいです。

そうですね。さっき「地方が強み、地域が強み」って言ったんですけど、地域だけ地方だけでじゃお金を回していけるのかとか、そこだけで、そういう暮らしの豊かさを作っていけるのかっていうところに、そもそも限界を感じてたっていうのがあるんで。

いかに今後「地域で作った強み」とか、「地方であるからこその強み」っていうのを引っさげて、関東であったり、もしかしたら海外であったりに進出して行くかっていうのが、これから5年ぐらいの最大の課題かなと思ってます。

ちゃんと地域を軸に作ったものを持って行って、そっちから地方とか地域に還元できる仕組みっていうのをいかに作っていくか、と思ってます。

そこに向けて、今、どう資金調達して、人を作って生かしていけるのかというところが今一番やらないといけないことかな、と今がんばっているっていう感じですね。

――今はコロナ禍ですし、「これからはウィズコロナで、コロナの脅威が完全なくなるってことないんじゃないか」みたいな考え方の人も多くなってきていて、例えば、東京で働いていた人が地方で、完全在宅でリモート対応するっていう人も出てきて、地方に与える影響って結構あるかと思います。
ピンチもあればチャンスもあるんじゃないかと思うんですが、このコロナ禍をどう捉えてますか?

そうですね、あくまでうちの場合ですが、タイミング的にも「コロナ禍が追い風でチャンスになった」というのは、いろいろありますね。

融資もそうですし、チャレンジできる補助金とかもそうですし、自分って0からスタートして少しずつ歩みを進めてたのが、コロナ禍になったことで、いきなり百段飛び越えることができるようになった感覚はあるので、そこら辺はよかったと思うところです。

とは言え、ピンチがなかったわけではなく、現場に戻った時に今まで当たり前にできていた「地域の集まり」とか、できなくなったっていうところをどう解決していけばいいのか行けばいいのかなっていうのは今も悩んでます。

解決する発想はいくらでもあるけど、その発想を持ち込んでも、そこの地域に落とし込もうとした時、その発想を理解できる人がいなかったりする、そういう壁はめちゃくちゃ感じるので。

例えば、うちがやってる介護施設って「運営推進会議」を二ヶ月に一回してて「こういう介護施設ですよ」って地域の人たちに知ってもらったり、ご家族に知ってもらったりするんです。

それがコロナ禍になってどうしたかっていうと、結局「集まること」がだめだから、書面で地域の人に渡して家族さんに渡して、なんかサインもらってフィードバックしてもらってます、みたいな。

「いや、それって全然、目的達成してないじゃん」と思って「オンラインで開催します」って言ったら、「参加者は年配の人が多いのにオンラインでやるなんて!」みたいな反発が結構来たんですよね。

今までのやり方でしかやれない人達がいるんだなって分かったんで、そこを「なんでその運営推進会議に高齢者しか参加しなかったんだ?」とか、「なんでオンラインがダメなのか?」ってちゃんと追求していけば「地域の底上げ」になると思ったんです。

そんな地域の隠れた課題に答えを出すように取り組んでいるのが「Happy Care Life株式会社」なんだ、というブランディングもできるし、そういうレベルの低いところで頑張ってるけど「こんなやり方したらもっとできるよ」みたいなのを持ち込んで示せるチャンスだな、とも思ってます。

コロナ禍をどう捉えるかは難しいですが、会社法人として言えば「チャンスにつながってよかった」、でも、地域として言えば「当たり前にできたことができなくなって対応が難しかった」みたいな感じですね。

――ありがとうございます。コロナ渦で良い面もあり、悪い面もあり、現場に課題が出たときもやり方、色々考えれば解決できるっていうマインドは素晴らしいですね。

そういうのを、ずっと地道にやってきた9年間っていう感じで、いやらしい戦略で、地域の信頼を勝ち取ってきました(笑)。

――いやいや、誠実に、愚直に頑張った結果が今、規模拡大につながっているんじゃないかなと思います。
むしろ今後もっとご活躍されて、今のやり方をエリア以外にも広げていただいて、地方を元気にしていただきたいです。
独立開業したい方へのアドバイスもされているってことでしたので、そのノウハウをもとに同じように地域活性化を目指す方にアドバイスして、よい経営者が増えると、日本全体にいいことだと思うので、ぜひやっていただきたいなと思いました。

ぜひぜひそうなるために、SoLabo(ソラボ)さん、サポートお願いします!

――ぜひぜひ!中林さん、ためになるお話、ありがとうございました!

事務所情報

事務所名:Happy Care Life株式会社

代表取締役 中林 正太さんのSNS

Twitter:https://twitter.com/S_Nakabayashi
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